根性論は有害なのか?

根性論とは、どんな事でも頑張ればできるという考え方です。少し、古い考え方というイメージを持っている方も居るのではないでしょうか?。ですが、根性論もその時によって有用な事もあります。 この記事では根性論について考えていきます。

根性論の悪いところ

常に根性論的な考え方でいると心身共にダメージがいきます。根性論の悪いところは、できない事を根性が足りないからだと決めつけて、工夫もせずに頭が固くなる事にあると思います。 ただ気合を入れた所で精神力と体力が伴うとは限りません。 人生の中で、力任せでは無理な事はいくらでもあります。その時に、大事なのは工夫と知恵です。どんなやり方が良いか考えていかないと、ただ消耗するだけで意味がありません。

スポーツでもそうです。無茶なトレーニングや練習は競技力向上になるどころか、身体を壊して選手生命を断たれる可能性があります。ちゃんと、何のためのトレーニングで、何を身につけるための練習なのかを考えていく必要があります。そして、その適切なトレーニングや練習をこなすために精神力を使うべきだと言うのが私の考えです。

これは色んな分野に必要な考え方だと思っています。

根性論の必要性

根性論は必要だと思います。確かにやり方を間違えると危険な理屈だと思います。ですが、できることを突き詰めた後は精神力次第な事は少なくありません。良い方法がなく、できるかできないかではなく、やるしかないという場面もあります。 そんな時に小手先の小細工を考えても意味がないです。

もちろん、ある程度工夫して知恵を使うのが前提ですが、時には真っ直ぐ突き進むしか手段がない事があります。その時に、根性論的な精神力がないと立ち上がって行動する事が難しくなると思います。状況は待ってくれません。最善の手を考えるよりも次善の手で割り切る事も必要です。 長期的な計画を実行するのもある種の根性が必要になってきます。先の長さに計画を実行する気力が無くなる事があるでしょう。ですが、一歩一歩確実に進めようという精神力があれば計画を達成できる可能性が跳ね上がります。

こう考えると根性論も使い方次第だと言えるでしょう。昔の人達は根性論の使い方を間違えていたんじゃないか、というのが私の見解です。

まとめ

以上が、根性論の悪いところと必要性です。根性論は、困難な状況に直面したとき、立ち上がって突き進むために必要だと私は考えます。ですがそれは工夫や知恵を出す事が前提です。時に根性で、時に工夫や知恵で、時に両方合わせて目的を達成する。その時の状態に応じて柔軟に行くのが良いでしょう。「根性論を上手く使いましょう」というのが私の結論です。